デジタルグリッド様 インタビュー

デジタルグリッド×グリーンタレントハブ

ーー今回は、デジタルグリッドの豊田社長にお越しいただきました。豊田さん、よろしくお願いします。

豊田 よろしくお願いします。

ーー豊田さんは、東大の大学院卒後、ゴールドマン・サックス、インテグラルを経て、現在デジタルグリッドの社長として経営されていらっしゃる、カリスマ的なご経歴をお持ちの方です。

豊田 いえいえ、キャリアの一貫性がないようなキャリアです。

デジタルグリッド株式会社とは?

ーーデジタルグリッド様の事業概要、そして組織概要について教えていただけますか?

豊田 デジタルグリッドは、電力を売買する、いわゆるP2Pプラットフォームを提供しています。電力の調達に困っている方々に様々な電源の売買を支援するビジネスがメインです。

もう1つ新事業で「脱炭素の教育事業」もローンチをしようと思っています。『GX navi』といって、我々が培ったコーポレートPPAのノウハウやグリーンハウスガスのプロトコルのノウハウを教育コンテンツに落として、皆さまにご利用いただくサービスも始めております。その二本立てになっています。

ーー前者の大量の発電事業者と需要化をつなぐというのは、小売電気事業者のDXのような印象を受けていますが、実際はどうなのでしょうか?

豊田 おっしゃる通りです。2012年、2014年ぐらいに流行った需要家PPSと言われるかたちです。例えば自家発電設備の火力を使いたいとか、エネルギーマネジメントをしたいという、以前流行ったものをもう少しやりやすくしたようなイメージですね。

ーーちょうど昨日レキシブの渡部社長が需要家PPSのことをおっしゃっていました。それのより使いやすくなったバージョンということですね。

生い立ちから中学受験

ーー豊田さんの生い立ちから現在に至るまでのキャリアについて深堀させていただければと思います。まず、生まれはどちらですか?

豊田 生まれは、東京都世田谷区です。UPDATERの「みん電」さんの場所から、そんなに遠くないところで生まれ育っています。

ーー幼少期の印象的な思い出やエピソードはありますか?

豊田 僕の家が小学校から徒歩1分程にあって、さらにゲームソフトがたくさんあったので、みんなで集まって家でゲームすることがありました。楽しいことをみんなとワクワクやることが面白いという一種の成功体験をしました。

小学校のときサッカーもやっていて、チームのみんなで朝練するのが楽しかったし、みんなでワクワク楽しいことやろうみたいなのがひとつの原体験だと思います。

ーーゲームは結構ハマっていましたか?

豊田 そうですね。当時ニンテンドー64の「マリオカート」にソフトにハマっていて、特にタイムアタックにハマっていましたね。祖師ヶ谷大蔵に住んでいたのですが、祖師谷のゲームショップでは1位になりました。

ーー自分の話になりますけど、僕も幼少期もゲーマーで1日4〜5時間やっていました。RPGの「ファイナルファンタジー」とか「ドラッゴンクエスト」にハマっていましたね。実はRPGって、事業作りにも近しいんじゃないかと思っています。

勇者がいて、パーティを作って最初は近くで戦って、レベルアップし、武器を体に入れていくのが企業経営・事業作りに近しいものがあると思いました。

豊田 僕もめちゃめちゃアグリーです。RPGから学ぶことは多くて、どんなに最強と剣を持っていても、魔法しか効かない相手だったら魔法が必要になるわけじゃないですか。

他にも、同じストーリーでも、以前の経験が活かすことで、より効率的に進められたりすると攻略のしがいがあるんですよね。

ゲームで、ひとつだけのことをやってもうまくいかなかったりとか、過去の経験が活かしたりとか、おっしゃる通り学べることが多いです。

ーーその後、中学受験をされるんですか?あるいは公立ですか?

豊田 中学受験をしたのですが、行きたかった学校に行けず、中学受験に失敗するわけです。ここが僕の人生の転機でした。

そこで学んだのは、自分は努力をしない一人前になれない、人並み以上に勉強とか努力とかは必要なんだとわかりました。なので、中学に入ってから真面目に勉強するようになりましたね。

ーーかなりエリート臭がしていたんですけども、挫折をそこで味わっていたんですね。

豊田 そうですね。あの時は、親に迷惑かけたなと思いましたね。

中学からインターナショナルスクールへ

ーー中学校に入ってからは、どんな学生生活でしたか?

豊田 困難なことに立ち向かったら何とかなるということを学ぶ機会がありましたね。

中一の終わりに、父親の転勤で「バルセロナに行くことになったけど来るか?」と言われたんです。当時、小学校の友達に帰国子女に憧れていた僕は、父親に「インターナショナルスクールに連れていってくれるなら行く」と生意気に言って、バルセロナのインターナショナルスクールに行くことになりました。

もちろん、英語は喋れず、アルファベットを書くのも怪しい中、授業も英語でわからないです。服装もちゃんとしたつもりでしたが、英語で怒られて、初日はトラウマになりましたね。

でも、そこで勉強になったのが、努力して伝えようと思えば伝わるし、言語自体も死ぬ気で頑張ればキャッチアップできるという経験です。

インターナショナルスクールでは、英語の勉強もするし、コミュニケーションと文化も学ぶし、忙しい思春期を過ごしたなと思います。振り返ると人生のターニングポイントですね。

ーーそれは大きな意思決定ですね。通常であればそのまま中学生活のところをバルセロナに行ってという経験があったということですね。

ーーどれくらいの期間バルセロナに行かれたんですか?

豊田 中一の終わりから中三までの二年間ですね。

ーーインターナショナルスクールでは、英語が公用語ですか?

豊田 英語が公用語です。国語の授業が英語になります。普通の英語もわからないところに、英語の古典も始まって、古典英語と普通の英語がごっちゃになり、けっこう大変でしたね。

帰国から東京大学へ

ーーその後、日本に戻るタイミングがあるわけですね?

豊田 そうですね。消極的な理由で恥ずかしいのですが、中高一貫校で高校から戻る場合は、高校編入試験に受かる必要があったからです。1ミリも受かる気がしなかったので中学の三年生の間に戻ってきました。

ーーなるほど。そうすると、エスカレーター的に進学できるんですね。ただ、英語は非常に達者になっている状態で、あとは英語で数学を学んだり、英語で世界史を学んだりしたんですか?

豊田 そうですね。ただ算数とか理科とか社会とか、全く日本の同学年に追いついておらず、日本に戻ってきて、浦島太郎状態でしたね。

ーー高校の勉強をスタートは、かなり大変だったんですか?

豊田 そうですね。中学受験に失敗したトラウマがあるので、必死に勉強をしていました。そしたら一定の成績が出せるようになって、勉強が面白いなって思うようになりました。なので、高校時代は勉強を熱心にやっていました。

ーー大学はストレートで進学されるんですか?

豊田 そうですね。一科目めちゃめちゃ得意なものがあると、受験に強かったんですよね。

ーー大学は東京大学ですよね?

豊田 そうです。大学は東京大学です。

ーーそうなんですね。一科目だけで東大は難しいと思うんですけど。SFCなら受かると思いますけど…笑

豊田 英語が元々下駄の中であって、あとは算数や物理が好きだったので、理系の科目でしのぎきった感じです。

ーー勉強はどういう風に勉強されましたか?予備校に行ったり、自習したりとか教えてください。

豊田 予備校には通っていたんですけど、それとは別に「大学への数学」という雑誌の後ろにある問題があって、それを毎月解いていました。

それを解いて解答を送ると、すごく厚いフィードバックが返ってくるので、パズルで解いてるような感じが面白かったです。

将来を考え始める学生生活

ーー4年間は、どんな学生生活でしたか?

豊田 森博嗣さんの「全てがFになる」という作品があって、その中の天才数学者が電脳の世界の人たちと通信する描写があって、自分も電脳とかAIとかめちゃめちゃ興味を持ちました。なので、大学生になってから、そういう授業やプログラミングの勉強を頑張った記憶があります。

ーーまだ電力が直接的には出てきてはいませんけど、そこから研究会やゼミを選ぶ過程で出てくるんですかね?

豊田 そうですね。大学1年生くらいの時に、ふと気づいたんですよ。その時に付き合っていた人がいて、結婚を考えたりすると、ある程度年収は必要だなと思いました。そこで勉強していたプログラマーの年収を見てみると、当時はそんなに高くなかったんですよね。

何が儲かるのかと検索してみると、公認会計士とか金融系の仕事とか、文系の就職が儲かるなってわかったんですよ。

あまりにも理系に寄ったものより、理系のバックグラウンドを活かして、経済的なことも分かるような仕事に就いた方が良いのかなと思い、大学3年からシステム創生学科の知能社会システムコースに進学をしました。その時に、恩師である阿部先生に出会いました。

ーーなるほど。年収軸っていう切り口から始めたものの、結果的に阿部先生と出会われるんですね。

豊田 そうですね。研究室訪問をしていて、阿部先生のお話が圧倒的にワクワクしたんですよね。

当時の電力業界は、原発も動いていました。そんな中、『電気はもっと再エネ化が進み、自由にやり取りができ、P2Pの取引ができるようになる。そうすると通信の世界にようなに爆発的に革命が起きるんだ』と、阿部先生が話をされていたんですよね。

特に説得力があったのは、再生可能エネルギーには、資源制約がほぼ無いことでした。通信の世界だと、半導体の成長で通信量が爆発的に上がりました。一方、電力の世界では再生可能エネルギーが増えてくると消費できる量がどんどん増えるんじゃないかなと思っています。

化石燃料は世界で使用している50倍が潜在的にあると言われていますが、再生可能エネルギーは毎年必ず100倍から200倍ぐらいのエネルギーが潜在としてある状態なんです。

ものすごく無尽存でエネルギーを使えることで革命が起きるという話をされていたのが面白そうだと思って研究室に入ったんですよね。

ーーそうなんですね。それって何年くらいのときですか?まだ電力自由化の前ですか?

豊田 そうですね。私は2006年に入学して、2008年とかに研究室に配属になったので、それぐらいですね。

ーーなるほど。全面自由化のだいぶ前ですよね。

豊田 そうですね。

学びを深める院生時代

ーーそして大学院に進まれるんですよね?

豊田 そうですね。やっぱり研究が楽しかったです。もっと勉強したいなと思いましたし、研究内容にポテンシャルもあると思いました。

自分自身で突き詰めるというよりも、大学院のすごくメンバーに恵まれていて、いろいろ議論をすることで、自分の考えが進化する経験を積むことができました。

議論をしながらデジタルグリッドが思い描く世界とか、ビジネスをどうやって広げていくかを考える日々が非常に楽しかったです。

ーー修士の研究内容はどんなものだったんですか?

豊田 主にシミュレーションモデルを作ることでした。どこのエリアに、どんな発電所があるかというデータをシステムに入れて、どの発電所が安く発電できるかのモデルを作ったりします。

一番電気代を安くするためには、いつ誰をどのように発電させるのかを考える、いわゆる線形計画というオペレーションズ・リサーチの一種のモデルを作っていました。

ーー再エネが入ると、どうなるかなどもインプットもされていたんですか?

豊田 そうですね。再エネが〇〇入ると、CO2が〇〇上がってエネルギー価格が△△になるというシミュレーションもしていました。まだ東日本大震災が起きていない頃なので、再エネはあまり現実的だとは思われなかったときですね。

ーーFITも始まるかどうか、始まってないぐらいですかね。

豊田 そうですね。家庭用の余剰買取みたいなものが出てきたときぐらいです。

ーーその頃から電気に関心があったんですか?あるいは電気よりも新しい世界観を作ることに関心があったんですか?

豊田 僕はもう最初は、ワクワクする新しい世界ってすごい面白いし、いつかそれを実現したいなという強烈な思いがあったので、電力というよりはデジタルグリッドの方が強烈に残っているという感じですね。

ゴールドマン・サックスへ入社

ーー修士になった直後ぐらいに就職活動が始まりますよね?どういう切り口で、どんな会社を選んでいったんですか?

豊田 どんな会社があるかわからなかったので、30社〜50社をいろいろ受けてみました。ゲームが好きだったので、任天堂とかSQUARE ENIXとかも受けましたし、その後キャリアを歩む外資コンサルトや外資金融も受けました。

どこもいいなと思ったんですが、ゴールドマン・サックスのリクルーターの方に惹かれたことがきっかけでした。

僕は、東日本大震災のときの就活生だったんです。震災の翌週の月曜日に、そのリクルーターさんが僕に電話をかけてくれて「大丈夫だった?」と心配してくれたんです。

僕は生きることに必死で、家族は大丈夫か、友達は大丈夫か、恋人は大丈夫か、という状況だったんですが、そのリクルーターさんは、福島が大変なことになっているのを見て、週末に炊き出しに行っていたらしいんです。

それを見て、圧倒的な熱量で行動される方で惹かれました。実際に入社してみるとゴールドマンには、そういう方々が多かったです。

なので、何をやるかという軸よりは、「誰と働きたいか」の軸で選びました。自分自身をエネルギッシュに鍛えてもらえるような場所だと、そして楽しく働けるんじゃないかなと思って入社しました。

ーーなるほど。いろいろ受けてみた中で、最後は人という軸で選ばれたんですね。

豊田 そうですね。人の軸で選んで、半分良くて、半分の良くなかった面が外資は、人の出入りが激しく「この人と働きたい」と思っても、必ずしもその人と働けるとは限らないんです。

カルチャー的には、かなりエネルギッシュで熱量のある人たちが多かったので非常に面白かったと思います。

ゴールドマン・サックスでの業務内容

ーー入社してからはどんな業務をされたんですか?

豊田 最初の1年半ぐらいはデリバティブといって、僕の場合は為替商品を売っていました。

例えば、任天堂さんの場合、商品をヨーロッパやアメリカで売ったりします。そうすると、ユーロやドルが貯まっていきます。それ時価で円に替えると、売上が大きく変動してしまうので、安定的に円に替えられるようにしたり、より高く替えられるようにしたり、仕組みを使って提案していました。

ーーなかなか、難しそうですね。

豊田 僕のチームは組織再編もあって縮小する話があって、僕自身マーケットが好きなわけでもなかったので、この先どうしようかなと入社して1年足らずの小僧は思うわけですよ。

一度辞めて、コーポレートファイナンスを見ようと思って異動を上司に言ったら『異動する前に、この部門でやり残したことが絶対あるから、やりたいことを選んでみなよ』と言っていただいて、太陽光に投資をする部隊があったので、そこに所属することになりました。

ーー同じ部署の中で太陽光に投資をしている部門があったんですか?

豊田 そうですね。リード性の高いアセットと低いアセット両方扱っていたので、リード性が高い時は為替とか株とか金利とかをトレードするようなチームもあります。反対にリード性の低いアセットだと、不動産とかで不良債権とか、その中にたまたま太陽光もあって、学生時代に電気の勉強をしていたので、太陽光ビジネスに携わり始めました。

ーーなるほど。それ何年ぐらいのときですか?

豊田 2013年ですね。

ーー私も脱エネ領域で仕事する中でゴールドマン・サックスさんって、最初の段階で案件を仕込んでいたなっていう印象があって、先見性があるなと思った印象がありました。

豊田 そうですね。最初は、どうやったら太陽光を作れるかという感じでした。

権利を見つけて、その権利でちゃんと太陽光を作れるかを精査する必要あるので、ゼネコンの方々と仲良くなって、山道を歩いて、この場所が太陽光に適しているかを見るところから始めるんです。

スパイク付きの長靴履いて、レインコート着て、クモの巣があるからマスクをして山道を駆け分けて、実際の場所を見ていました。「ここは搬入路として使えないから、別のルートにしようか」とか「ここは花崗岩じゃないからコンクリートの基礎にしないといけない」とか、「あれ、僕は金融の世界にいるよな?」と思いながら、ゼネコンの方々と勉強してプランを作って、ゴールドマンの投資委員会に出して、投資してもらって開発するということになります。

ーー再エネの事業開発をやられてきたということですね。

豊田 そうですね。ゴールドマンにいたんですけど、実際に金融っぽいことをやっていたのは、1年半くらいかもしれないです。

ーーなかなか稀有なキャリアですよね。そこで再エネが出てくるということですね。

豊田 そうですね。ようやくここで再エネと繋がりますね。

プライベート・エクイティへ

ーーその後しばらくして、プラベートエクイティに入ると思いますが、そのきっかけは何だったんですか?

豊田 ゴールドマンでは、太陽光に投資をして開発をやらせてもらえるんですが、一定の目処がつくと次の案件探すことになります。自分が思い入れを持ったものを置いて、すぐに次に行くのが個人的には面白くなかったのがひとつの理由です。企業の効率を考えると当たり前なんですけどね。

もう一つは、自分が開発を頑張っても、バリューが変わらないことです。FITなので20年間40円で買い取られることは決まっています。どんなにセクシーにやっても、大きく変わらないんです。

もっと生ものの株式に投資をしてみたい思いもあって、プライベートエクイティを選択しました。

ーー様々な選択肢があったと思うのですが、PEが良いと思ったのはどんな背景だったんですか?

豊田 PEというよりは、ここでも誰と働きたいかという軸で選びました。

当時のインテグラルには、佐山さんという方がいらっしゃいました。すごく愛のある方で、投資家も事業のやる側の気持ちをわかりながら、投資をしなきゃいけないという考えの方だったんです。

通常PEファンドは、投資をして100日間で体制を作って、あとはモニタリングする100日プランがメインです。しかし、インテグラルは違って100日ではなく、立て直すまで戻らないというスタンスで、実際に3年〜6年とか携わるんです。

長い方だと、スカイマーク代表の西岡さんがインテグラルに入社して、初めてスカイマークに出向されて、現在も代表をされています。本当にコミットする会社で面白いなと感じて、インテグラルに入社した背景があります。

ーーなるほどですね。

インテグラルでの業務内容

ーーインテグラルさんではどんな業務をされていたんですか。

豊田 インテグラルは、ファイナンシャルモデルを作って、投資をするための契約書を作成したり、契約書内容を交渉したり、M&A領域に近いことをやらせていただきました。

ーー投資や買収をする判断材料を作るということですか?

豊田 そうですね。実際の投資判断はパートナーの方がやるので、僕らはそれに対するロジック作りだとか、モデル作りだとかが主ですね。

ーーかなり大変そうな印象がありますけど、実際の働き方はどうだったんですか?

豊田 そうですね。朝9時ぐらいに出社して、夜中の2時ぐらいでした。忙しいと4時とかでしたね。

ーーそうなんですね。ゴールドマン・サックスのときも大変でしたよね?

豊田 そうですね。ゴールドマンのマーケット部門だったときは朝5時ぐらいに出社して、夜12時ぐらいまで仕事したり、お付き合いで先輩とご飯に行ったりという感じです。

ーーどちらもハードワーカーでいらっしゃったんですね。

デジタルグリッド参画の経緯

ーーインテグラルでしばらく働かれて、いよいよデジタルグリッドさんに参画されると思うのですが、その経緯を教えていただけますか?

豊田 デジタルグリッドへの思いがあったので、阿部先生と卒業後も毎年会っていました。2017年に、阿部先生から「デジタルグリッドをやろうと思う」と、事業計画書を見せていただいて、すごく楽しそうに語っていたんですよ。

僕がその頃には、金融や事業、経営のことが少しわかるようになっていたので、数字面とか現実的なものではないなと思ったんですけど、学生のときに思った「革命的な世の中を作る」というところに、すごく惹かれて会ったその日に「先生やりましょう!」と言いました。

ーー当時、阿部先生は東大の特任教授をされていて、牽引がダメなんでしたっけ?

豊田 そうですね。大学の教授をしながら、代表取締役はできないという制約があったので東大も辞められましたね。

ーー清水の舞台から飛び込むみたいな感じですね。

豊田 そうですね。

ーー創業されたのが2018年ですか?

豊田 そうです。2017年の10月に登記をして、オフィス構えて稼働したのが2018年の1月10日です。

ーーそこから代表に移るまで、大変なことがあったと思いますが、一番大変だったことはどんなところでしょうか?

豊田 2019年に、当時も調達できると思っていたものの当てが外れてしまい、6月末に資金ショートしてしまいました。僕らの事業の至らなさで株主に対して迷惑をかけました。株主説明会を開いて株主の方から「金返せ」って言う方もいましたし、「最後まで頑張りなさい」と言ってくれる方もいらっしゃいました。

僕自身で責任を取る気持ちで阿部先生に「一緒に代表をやらせてほしい」と話して、資金ショートした2日後から代表になりました。それがかなり大変でしたね。腹を決めて、その後は夢中で資金調達をしたという感じです。

ーーもしかしたら前職の経験と関連する部分があるのかなと思いました。その中でも何がポイントだったのでしょうか?

豊田 ベンチャーなのでリソースは限られていることを把握することですね。

限られたリソースをどこに集中させて、尖らせていくかだと思います。会社としての「エネルギー問題の解決」というミッション、ビジョンが大きいため、あれもこれもやってしまっていたので、選択と集中が大事だったと感じますね。

メンバーのマネジメントについて

ーーデジタルグリッドさんの特徴として、メンバーにプロフェッショナルの方々が揃っていて、年齢としても年配の方々もいらっしゃると思うのですが、そういった方々のマネジメントは、どのようにやられていますか?

豊田 僕はデジタルグリッドを良くしたいだけなので、その思いを誠心誠意ぶつけるのがメインかなと思います。デジタルグリッドより良くするためには、どうしたらいいかに対しては、フラットな会社だと思いますし、僕自身もフラットでありたいと思っています。

「お前は私の部下なんだから」ではなく、「どうやったらデジタルグリッドが良くなるか」という接し方です。

ーーなるほど。あくまで役割のひとつということですね。

脱炭素領域のやりがい

ーー脱炭素領域での事業や仕事は、どういったところにやりがいを感じますか?

豊田 脱炭素とかESG、SDGsで難しいのは、企業は経済合理的ではないけど、世の中的に中長期でやった方がいいことがたくさんあると思うんです。

しかし、再生可能エネルギー周りでいくと、経済的合理性もあるので、直ちにやった方がいいことが多いので、自分自身やっていてしっくりきています。コストが安くもなるし、持続可能だし、やるべき理由をプレゼンしやすいと思います。

あとは脱炭素の業界はまだまだ若い業界なので、みんなでマーケットどうやったら大きくできるかという話をするので、脱炭素マーケットで働いていることの楽しさです。

ーーまさに同意です。一社で完結できることってなかなかないですよね。パートナーと組んで一緒に進めるという、コラボレーションマインドが旺盛な業界の印象がありますね。

デジタルグリッドの今後の方向性

ーーデジタルグリッドさんが今後向かっていく方向性はどういったものを考えていますか?

豊田 エネルギーに困らない世界を目指しています。

今後EVが増えてきたり、電化が進んできたりして、電力が自体必要になります。だけど、化石燃料に頼っているからサウジアラビアから電気を買わないといけない状態です。なので、化石燃料に頼らない世界を作りたいと考えています。もっと身近なところでいうと、お母さんが電気をつけっぱなしでも怒らない世界を作りたいですね。

いま太陽光が増えていて、喜ばしいことですが、太陽光だけが増えてもその世界に近づかないんです。なので、より現実的にそこに近づくための向こう50年の解を探していきたいです。エネルギー問題を僕ら代で解決したいという思いが強いですね。

ーーすごく壮大なビジョンですね。今後もデジタルグリッドの社長として、キャリアを作っていきたいと考えていらっしゃいますか?

豊田 どうなんでしょうね。社長のポジションにこだわっていなくて、僕よりも社長業が上手い人がいたら、それはそれでいいんです。

僕はエネルギー問題を解決したいという思いは誰よりも強いです。そのために自分なりに何ができるかを常に考えていて、自分に適正があることをやっていきたいと考えています。デジタルグリッドの社長が一番適切であれば、そうするし、そうじゃなければ他を考えるし、そこにこだわりはないです。

ーーありがとうございます。

読者様へのメッセージ

ーー最後に読者の方にメッセージをお願いします。

豊田 脱炭素の業界自体が盛り上がって欲しいと思うので、是非興味を持っていれば脱炭素・エネルギー領域に飛び込んできてほしいと思います。

飛び込んできていただけるなら、デジタルグリッドは積極採用中ですので、ご応募お待ちしております。

ーーありがとうございます。特にどんなポジションなどありますか?

豊田 営業、オペレーション、エンジニアなど全方位で採用中です。

ーーわかりました。ご関心ある方は、まずは応募いただければと思います。本日はデジタルグリッドの豊田社長にお越しいただきました。本当にありがとうございました。

記事をご覧頂きありがとうございました。

グリーンタレントハブは、脱炭素領域に特化したエージェント会社です。

グリーンタレントハブのキャリアコンサルタントは、自らが脱炭素領域での事業・アドバイザリー・投資経験を有するプロフェッショナルのみで構成されています。業界インサイダーとして各社との人的ネットワークも厚く、弊社のみに採用のご相談をいただく場合もしばしばございます。変化の激しいこの業界において、ご相談者様に確かなマーケットインサイトとキャリアオポチュニティをご提案いたします。

まずは情報収集からでも、キャリアのご相談をお待ち申し上げます。

無料相談のお問い合わせはこちらから

最新情報をチェックしよう!
>【2023年6月下旬】実戦型グリーン・リスキリング講座

【2023年6月下旬】実戦型グリーン・リスキリング講座

受講受付は終了しました。たくさんのお申込みをいただき、ありがとうございました。次回は2023年秋頃に募集予定です。

CTR IMG